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  • 高澤 治 が更新を投稿 6か月 1週間前

    昔のことをひとつ。
    畦道早乙女というはなしを。とはいかないわけで。
    かえるストローバンの時代のことじゃありません。

    転学してから、何していたのか誰も聞かずに病気になった。十五歳で統合失調症が発症しています。と。
    しかし、入院したのはもっとあとです。
    実は予備校を転々としながら、落語家になりたいと寄席に電話したことがあります。
    そしたら、一回見においでというので、元町の寄席に行きました。夜で老人ばかりで。
    座っているの疲れて、後ろで立ち見しました。桂小米朝の話です。言いに行こうと思っていたら、すぐ楽屋に行ったんですけど帰ってしもうた。
    それで、一回目の寄席は終わりました。

    二回目の寄席は大倉山の文化ホールです。
    ひとつ目馬王
    柳家小三治
    桂春団治
    桂歌丸の話でした。
    終わってから落語家になりたいと、出てきた老人に言いました。桂歌丸でした。
    今、落語家協会もきびしくなって親の印鑑がいるといわれました。
    それでタクシーで帰ってしまいました。

    今も桂木に住んで、病気と闘っていますが、そのときの落語家になりたいというのは、悪夢なのだろうか、それとも叶えた方がいい悩んでいます。
    農家を辞めずに、地域でお寺で寄席ができると聞いてます。
    何故、落語家になりたいといったのだろう。

    全国土の会に入ってみたいと思っていた矢先、青空が、その質問をしているようです。
    君たちはどう生きるか。と言われます。

    どう生きようか。青春はまだそのまま。